歴史紹介

私たちは、シルクという日本の原点ともいえる素材に改めて向き合い、地域産業としての再生、そして未来の可能性を見据えた挑戦を続けています。シルクと共に歩んできた丹後の歴史、産業の変遷、そしてながすな繭株式会社が描く「未来のシルクロード」についてご紹介します。

I. 丹後ストーリー 〜1300年続く織物のまち〜

狛猫

丹後SILK。シルク事業の起源は西暦711年にさかのぼり、以来1300年以上にわたって「シルク織物の産地」としての伝統を守り続けています。

私たちの拠点である京丹後市では、古くから「狛猫」が地域の守り神として親しまれています。市内にある金刀比羅神社(こんぴらさん)の「狛猫」は、全国的にも珍しい神使として知られています。養蚕にとって最大の敵であるネズミを追い払う存在として、猫は養蚕の守護神として重要な役割を果たしてきました。

丹後の実業家、松本重太郎氏の起業精神を引き継いで…

京丹後市出身の松本重太郎は、「関西の松本、関東の渋沢」と称された明治期の実業家であり、繊維産業の発展に大きく貢献しました。彼が立ち上げた企業「丹重」は、「丹後」と「重太郎」に由来しており、郷土愛に満ちた起業家精神を体現しています。私たちは、その志を受け継ぎ、現代の丹後から新たな産業を切り拓いていきます。

II. シルクストーリー 〜繁栄と衰退、そして再生へ〜

丹後地区は古くから高品質な絹織物の産地として知られ、明治時代以降、日本の絹は主要な輸出品として世界的に高く評価され、産業革命と経済発展を支える基盤となりました。

昭和40年代には「ガチャマン」と呼ばれる好景気に沸き、丹後は日本を代表する絹織物の産地として栄えました。しかしその後、新素材の台頭や価格競争、後継者不足などにより、急速な衰退の道をたどることになります。

1930年代には年間40万トンあった繭の生産量は、現在ではわずか38トンにまで減少。養蚕農家も5万戸から134戸へと激減しました。伝統産業としての価値は残りつつも、産業としての存続が問われる局面を迎えています。

出典:一般財団法人 大日本蚕糸会「令和6年度 蚕期別・都府県別 繭生産量・養蚕農家戸数について」

III. ながすな繭ストーリー 〜私たちの挑戦〜

1. シルクバレー構想 〜V字回復を目指して〜

私たちながすな繭株式会社は、衰退するシルク産業を再定義し、次世代に向けて再構築する「丹後版シルクバレー構想」を策定しています。伝統を礎に、技術革新とビジネスモデルの刷新により、持続可能で魅力ある産業への転換を目指しています。

私たちは、経済産業省の「J-Startup 2023」に選定され、スタートアップ企業が直面する“死の谷(ディスバレー)”を乗り越えるための挑戦を続けています。シルク産業全体がこの谷にある今、私たちはそこから脱し、再び価値ある産業としてのV字回復を目指しています。

2. 丹後版シルクバレー構想 〜伝統と革新の融合〜

私たちは、シルクを通じて地域と世界をつなぐ「丹後版シルクバレー」を描いています。これは単なる産業復興にとどまらず、地域資源×技術革新を融合させた新たな価値創出の挑戦です。

人工飼料による繭の安定大量生産

蚕の餌を桑から人工飼料に切り替えることで、季節や天候に左右されない安定的な生産体制を確立しています。

廃校活用による公民連携拠点づくり

京丹後市からの委託を受け、廃校を再活用した「新シルク産業創造館」を運営。空調・設備を完備し、年間を通じた高品質な繭の生産と、地域雇用の創出を実現しています。

伝統技術と先端技術の融合

養蚕の手作業技術を尊重しながら、自動給餌・環境制御・健康管理などのスマート養蚕技術を導入。効率と品質を両立し、大量生産への移行を本格化しています。

3. シルクの多分野展開と市場創造

シルクの活用は、繊維製品にとどまりません。私たちはその特性を活かし、化粧品・医療・食品などの分野へと事業領域を拡大。高付加価値な製品開発と市場の創出に取り組んでいます。

当社のオリジナル化粧品「YUHUNE」が発売(2025年4月2日)

IV. 私たちの夢 〜シルクで地域と未来をつむぐ〜

私たちの夢は、かつて日本を支えたシルク産業を再生し、その力で地域をもう一度輝かせることです。繭の生産から商品開発、さらには観光や教育などの分野まで、シルクを核にした産業の多角的展開によって、地域経済を循環させる持続可能なモデルを築いていきます。

そのために、私たちは伝統とテクノロジーの融合により、現代に求められる製品と価値を提供していきます。そして何より、若い世代が夢を持って働ける産業を育て、地方から世界へ、新しいシルクのかたちを発信していきます。

伝統と革新の両輪で、京丹後から未来へ。
それが、私たちの描く“シルクロードのその先”です。